カルロス

 今更なことを書く。本当に本当に今更だが、私は今、絶賛カルロス(カルテットロス)中だ。

 

カルテットと私

 

 あの、月曜の晩の高揚感。火曜の朝の幸福感。そして火曜の晩の心に広がる温かさが、ない。絶望だ。心の栄養がゴシゴシ削られて補給されない。悲劇だ。

 『カルテット』は何故だか、私の琴線に触れることの多い作品だった。カツ丼を食べる二人、たこ焼きを買ってくる家森さん、穴を愛する別府さん。本当に本当に愛おしい人たちだった。

 否定をしない、怒らないところがとても良い作品だった、という感想を、最終回の直後に読んだ。うん、そうだなあ、と思った。素直に思った。完全に同意だ。

 隣にいる人が苦しいだろうなって思うとき。今、きっと左胸の奥の方が熱くて痛いだろうなって思うとき。

そういうときに、パズルのピースをはめるみたいに、スンとした言葉を選びたい。丁寧に紡ぎたい。押し付けるんじゃなくて、そっと置きにいきたい。

そういうときに、温かいご飯を作ってあげたい。たこ焼きを買って来てあげたい。

それが、人の美しさだ。人間関係を結んで、引っ張ったりこすれたりして、そうゆう間に出来る宝だ。

 とげとげした痛くて脆いものを心の中に持ちたくない。スライムみたいに、衝撃を吸収して、何があっても壊れない心でありたい。辛いとき、ユーモアを思い出せる人でありたい。

 道のりはまだまだ険しく、理想像はまだまだ遠そうだ。

 ああ、今心が渇いてるぞと思ったら、あの優しさで繋がっている四人に会いに行こう。